高輪ゲートウェイ周辺の開発エリア(旧車両基地跡)で発掘されました「高輪築堤」を視察しました。
先の三連休で一般向けの公開が行われましたが、コロナ禍という事もあり、厳しい倍率で当選した見学予定者にもキャンセルが多かったそうです。こんなところにも影響が出ていました。

高輪築堤は明治の錦絵にもたびたび描かれた東京の名所で「まるで海の上を蒸気機関車が渡っていくようだ」と江戸っ子たちを驚かせたそうです。

実際に見ると場所ごとに異なる石積や杭の工法などから、当時、外国の新しい技術を取り入れながらも日本の伝統技術を生かしている土木工事の状況が確認できます。

鉄道開設は日本を近代化するために必要不可欠でしたが、その道のりは険しいものでした。帝国主義時代、鉄道敷設は西洋列強がインドやアフリカを植民地化するために使った道具でもあったからです。それを防ぎながら日本の近代化のために資金調達に奔走した伊藤博文と大隈重信の決断や、西郷隆盛らとの国作りの考え方をめぐる対立など、150年前の鉄道敷設にかけた明治人の情熱とロマンを感じずにはいられない史跡でした。

重要な史跡ですから、現在、保存の仕方について考えているようでありますが、不思議なもので、土から掘り起こした当初は150年前のものとは思えない状態だったのが、空気に触れたこの一月半でひび割れ等が出てきたとのことです。
まちづくりはまちづくりで必要なことですが、どちらにも良い形で残ることを期待したいと思います。